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Japondesarts
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  • Présentation d'artistes contemporains et anciens du Japon.Photographes,peintres,estampes.Kimono ancien et créations inspirées des kimonos traditionnels.Passion du Japon et des arts . 日本の文化の芸術の情熱。
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2 décembre 2011

Mikan

Les Mandarines : une anecdote arrivée dans un train, à l'issue de laquelle : "Je parvins alors enfin à oublier un peu de mon ennui, mon indicible lassitude, et aussi l'absurdité, la vulgarité, la monotonie de la vie humaine." (page 69). Ce très bref récit...
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2 décembre 2011

蜜柑 芥川龍之介

或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に 一人も乗客はゐなかつた。外を覗(のぞ)くと、う す暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻(をり)に 入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのな い疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。私は外套のポツケツトへぢつと両手をつつこんだ儘(ま...
2 décembre 2011

京都日記 芥川龍之介 "Journal de Kyoto"

京都日記  芥川龍之介 "Journal de Kyoto"
光悦寺(くわうえつじ)へ行つたら、本堂の横手の 松の中に小さな家が二軒立つてゐる。それがいづれも妙に納(をさま)つ てゐる所を見ると、物置きなんぞの類ではないらしい。らしい所(どころ)か、 その一軒には大倉喜八郎(おほくらきはちらう)氏 の書いた額(がく)さへも懸(か か)つてゐる。そこで案内をしてくれた小林雨郊(こ ばやしうかう)君をつかまへて、「これは何(なん)で す」と尋ねたら、「光悦会(くわうえつくわい)で 建てた茶席です」と云ふ答へがあつた。 自分は急に、光悦会がくだらなくなつた。 「あの連中は光悦に御出入(おでいり)を申しつけ...
2 décembre 2011

孔雀

これは異本「伊曾保(いそぽ)の物語」の一章であ る。この本はまだ誰も知らない。 「或(ある)鴉(か らす)おのれが人物を驕慢(けうまん)し、孔 雀(くじやく)の羽根を見つけて此処かしこにまとひ、爾 余(じよ)の諸鳥(し よてう)をば大きに卑(いや)し め、わが上(うへ)はあるまじいと飛び廻れば、諸 鳥安からず思ひ、『なんぢはまことの孔雀でもないに、なぜにわれらをおとしめるぞ』と、取りまはいてさんざんに打擲(ち やうちやく)したれば、羽根は抜かれ脚は折られ、なよなよとなつて息が絶えた。 「その後(のち)またまことの孔雀が来たに、諸鳥...
2 décembre 2011

変な音

変な音 夏目漱石 上 うとうとしたと思ううちに眼が覚(さ)めた。す ると、隣の室(へや)で妙な音がする。始めは何の 音ともまたどこから来るとも判然(はっきり)した見 当(けんとう)がつかなかったが、聞いているうちに、だんだん耳の中へ纏(ま と)まった観念ができてきた。何でも山葵(わさび)お ろしで大根(だいこ)かなにかをごそごそ擦(す)っ ているに違ない。自分は確(たしか)にそうだと 思った。それにしても今頃何の必要があって、隣りの室で大根おろしを拵(こしら)え ているのだか想像がつかない。 いい忘れたがここは病院である。賄(まかない)は遥(は...
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