Beauté du Japon : Shugendo à Nara :
Hanezu de Naomi kawase sort aujourd'hui
Musiques du Japon
Mikan
Les Mandarines : une anecdote arrivée dans un train, à l'issue de laquelle : "Je parvins alors enfin à oublier un peu de mon ennui, mon indicible lassitude, et aussi l'absurdité, la vulgarité, la monotonie de la vie humaine." (page 69).
Ce très bref récit revêt une importance particulière : après cinq années de création littéraire essentiellement jalonnées de récits « historiques », Akutagawa revient à une narration plus personnelle. [...] « La simplicité est précieuse. Mais en art, la simplicité est le produit d'une extrême complexité. Elle est l'extrait qui est passé et repassé au pressoir »." (page 63).
蜜柑 芥川龍之介
或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に 一人も乗客はゐなかつた。外を覗(のぞ)くと、う す暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻(をり)に 入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのな い疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。私は外套のポツケツトへぢつと両手をつつこんだ儘(ま ま)、そこにはいつてゐる夕刊を出して見ようと云ふ元気さへ起らなかつた。
が、やがて発車の笛が鳴つた。私は,かすかな心の寛(くつろ)ぎ を感じながら、後の窓枠へ頭をもたせて、眼の前の停車場が,
ずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまへてゐた。所がそれよりも先にけたたましい日 和(ひより)下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思ふと、間もなく 車掌の何か云ひ罵(ののし)る声と共に、私の乗つ てゐる二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌(あわただ)し く中へはいつて来た、と同時に一つづしりと揺れて、徐(おもむろ)に 汽車は動き出した。一本づつ眼をくぎつて行くプラツトフオオムの柱、置き忘れたやうな運水車、それから車内の誰かに祝儀の礼を云つてゐる赤帽——さう云ふ すべては、窓へ吹きつける煤煙の中に、未練がましく後へ倒れて行つた。私は漸(やうや)く ほつとした心もちになつて、巻煙草に火をつけながら、始めて懶(ものう)い睚(ま ぶた)をあげて、前の席に腰を下してゐた小娘の顔を一瞥(い ちべつ)した。
それは油気のない髪をひつつめの銀杏返(いてふがへ)し に結つて、横なでの痕のある皸(ひび)だらけの両 頬を気持の悪い程赤く火照(ほて)らせた、如何に も田舎者(ゐなかもの)らしい娘だつた。しかも垢 じみた萌黄色(もえぎいろ)の毛糸の襟巻がだらり と垂れ下つた膝の上には、大きな風呂敷包みがあつた。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事さうにしつかり握られてゐた。私はこの小 娘の下品な顔だちを好まなかつた。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だつた。最後にその二等と三等との区別さへも弁(わ きま)へない愚鈍な心が腹立たしかつた。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと 云ふ心もちもあつて、今度はポツケツトの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。すると其時夕刊の紙面に落ちてゐた外光が、突然電燈の光に変つて、刷(す り)の悪い何欄かの活字が意外な位鮮(あざやか)に 私の眼の前へ浮んで来た。云ふまでもなく汽車は今、横須賀線に多い隧道(トンネル)の 最初のそれへはいつたのである。
しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂欝を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切つてゐた。講和問題、新婦 新郎、涜職(とくしよく)事件、死亡広告——私は 隧道へはいつた一瞬間、汽車の走つてゐる方向が逆になつたやうな錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆(ほ とんど)機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、恰(あ たか)も卑俗な現実を人間にしたやうな面持ちで、私の前に坐つてゐる事を絶えず意識せずにはゐられなかつた。 この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、さうして又この平凡な記事に埋つてゐる夕刊と、——これが象徴でなくて何であらう。不可解な、下等な、退屈な 人生の象徴でなくて何であらう。私は一切がくだらなくなつて、読みかけた夕刊を抛(はふ)り 出すと、又窓枠に頭を靠(もた)せながら、死んだ やうに眼をつぶつて、うつらうつらし始めた。
それから幾分か過ぎた後であつた。ふと何かに脅(おびやか)さ れたやうな心もちがして、思はずあたりを見まはすと、何時(いつ)の 間にか例の小娘が、向う側から席を私の隣へ移して、頻(しきり)に 窓を開けようとしてゐる。が、重い硝子戸(ガラスど)は 中々思ふやうにあがらないらしい。あの皸(ひび)だ らけの頬は愈(いよいよ)赤くなつて、時々鼻 洟(はな)をすすりこむ音が、小さな息の切れる声と一しよに、せはしな く耳へはいつて来る。これは勿論私にも、幾分ながら同情を惹(ひ)く に足るものには相違なかつた。しかし汽車が今将(まさ)に隧 道(トンネル)の口へさしかからうとしてゐる事は、暮色の中に枯草ばか り明い両側の山腹が、間近く窓側に迫つて来たのでも、すぐに合点(がてん)の 行く事であつた。にも関らずこの小娘は、わざわざしめてある窓の戸を下さうとする、——その理由が私には呑みこめなかつた。いや、それが私には、単にこの 小娘の気まぐれだとしか考へられなかつた。だから私は腹の底に依然として険しい感情を蓄へながら、あの霜焼けの手が硝子戸を擡(も た)げようとして悪戦苦闘する容子(ようす)を、 まるでそれが永久に成功しない事でも祈るやうな冷酷な眼で眺めてゐた。すると間もなく凄じい音をはためかせて、汽車が隧道へなだれこむと同時に、小娘の開 けようとした硝子戸は、とうとうばたりと下へ落ちた。さうしてその四角な穴の中から、煤(すす)を 溶したやうなどす黒い空気が、俄(にはか)に息苦 しい煙になつて、濛々(もうもう)と車内へ漲(み なぎ)り出した。元来咽喉(のど)を 害してゐた私は、手巾(ハンケチ)を顔に当てる暇 さへなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆(ほとんど)息 もつけない程咳(せ)きこまなければならなかつ た。が、小娘は私に頓着する気色(けしき)も見え ず、窓から外へ首をのばして、闇を吹く風に銀杏返(いてふがへ)し の鬢(びん)の毛を戦(そ よ)がせながら、ぢつと汽車の進む方向を見やつてゐる。その姿を煤煙(ば いえん)と電燈の光との中に眺めた時、もう窓の外が見る見る明くなつて、そこから土の匂や枯草の匂や水の匂が冷(ひ やや)かに流れこんで来なかつたなら、漸(やうや く)咳きやんだ私は、この見知らない小娘を頭ごなしに叱りつけてでも、又元の通り窓の戸をしめさせたのに相違 なかつたのである。
しかし汽車はその時分には、もう安々と隧道(トンネル)を辷(す べ)りぬけて、枯草の山と山との間に挾まれた、或貧しい町はづれの踏切りに通りかかつてゐた。踏切りの近くに は、いづれも見すぼらしい藁屋根や瓦屋根がごみごみと狭苦しく建てこんで、踏切り番が振るのであらう、唯一旒(い ちりう)のうす白い旗が懶(ものう)げ に暮色を揺(ゆす)つてゐた。やつと隧道を出たと 思ふ——その時その蕭索(せうさく)とした踏切り の柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立つてゐるのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思ふ程、揃(そ ろ)つて背が低かつた。さうして又この町はづれの陰惨たる風物と同じやうな色の着物を着てゐた。それが汽車の 通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反(そ)ら せて、何とも意味の分らない喊声(かんせい)を一 生懸命に迸(ほとばし)らせた。するとその瞬間で ある。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜 柑(みかん)が凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと 空から降つて来た。私は思はず息を呑んだ。さうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴(お もむ)かうとしてゐる小娘は、その懐に蔵してゐた幾顆(い くくわ)の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
暮色を帯びた町はづれの踏切りと、小鳥のやうに声を挙げた三人の子供たちと、さうしてその上に乱落する鮮(あ ざやか)な蜜柑の色と——すべては汽車の窓の外に、瞬(ま たた)く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はつきりと、この光景が焼きつけられた。さうして そこから、或得体(えたい)の知れない朗(ほ がらか)な心もちが湧き上つて来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るやうにあの小娘を注 視した。小娘は何時かもう私の前の席に返つて、不相変(あひかはらず)皸(ひ び)だらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱へた手に、しつかりと三等切符を握つ てゐる。…………
私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。
京都日記 芥川龍之介 "Journal de Kyoto"
光悦寺(くわうえつじ)へ行つたら、本堂の横手の 松の中に小さな家が二軒立つてゐる。それがいづれも妙に納(をさま)つ てゐる所を見ると、物置きなんぞの類ではないらしい。らしい所(どころ)か、 その一軒には大倉喜八郎(おほくらきはちらう)氏 の書いた額(がく)さへも懸(か か)つてゐる。そこで案内をしてくれた小林雨郊(こ ばやしうかう)君をつかまへて、「これは何(なん)で す」と尋ねたら、「光悦会(くわうえつくわい)で 建てた茶席です」と云ふ答へがあつた。
自分は急に、光悦会がくだらなくなつた。
「あの連中は光悦に御出入(おでいり)を申しつけ た気でゐるやうぢやありませんか。」
小林君は自分の毒口(どくぐち)を聞いて、にや にや笑ひ出した。
「これが出来たので鷹(たか)ヶ峯(み ね)と鷲(わし)ヶ峯(み ね)とが続いてゐる所が見えなくなりました。茶席など造るより、あの辺の雑木(ざ ふき)でも払へばよろしいにな。」
小林君が洋傘(かうもり)で指さした方(は う)を見ると、成程(なるほど)も ぢやもぢや生え繁つた初夏(しよか)の雑 木(ざふき)の梢(こ ずゑ)が鷹ヶ峯の左の裾を、鬱陶(うつたう)し く隠してゐる。あれがなくなつたら、山ばかりでなく、向うに光つてゐる大竹藪(おほたけやぶ)も よく見えるやうになるだらう。第一その方が茶席を造るよりは、手数(てすう)が かからないのに違ひない。
それから二人(ふたり)で庫 裡(くり)へ行つて、住職の坊さんに宝物(は うもつ)を見せて貰つた。その中に一つ、銀の桔梗(き きやう)と金(きん)の薄(す すき)とが入り乱れた上に美しい手蹟(しゆせき)で 歌を書いた、八寸四方位(くらゐ)の小さな軸(ぢ く)がある。これは薄(すすき)の 葉の垂れた工合(ぐあひ)が、殊に出来が面白い。 小林君は専門家だけに、それを床柱(とこばしら)に ぶら下げて貰つて、「よろしいな。銀もよう焼けてゐる」とか何(なん)と か云つてゐる。自分は敷島(しきしま)を啣(く は)へて、まだ仏頂面(ぶつちやうづら)を してゐたが、やはりこの絵を見てゐると、落着きのある、朗(ほがらか)な好(い)い 心もちになつて来た。
が、暫(しばら)くすると住職の坊さんが、小林 君の方を向いて、こんな事を云った。
「もう少しすると、又一つ茶席が建ちます。」
小林君もこれには聊(いささ)か驚いたらしい。
「又光悦会ですか。」
「いいえ、今度は個人でございます。」
自分は忌々(いまいま)しいのを通り越して、へ んな心もちになつた。一体光悦(くわうえつ)をど う思つてゐるのだか、光悦寺をどう思つてゐるのだか、もう一つ序(ついで)に 鷹ヶ峯をどう思つてゐるのだか、かうなると、到底(たうてい)自 分には分らない。そんなに茶席が建てたければ、茶屋四郎次郎(ちややしらうじらう)の邸 跡(やしきあと)や何かの麦畑でも、もつと買占めて、むやみに囲ひを並 べたらよからう。さうしてその茶席の軒(のき)へ額(が く)でも提灯(ちやうちん)で もべた一面に懸けるが好(よ)い。さうすれば自分 も始めから、わざわざ光悦寺などへやつて来はしない。さうとも。誰が来るものか。
後(あと)で外へ出たら、小林君が「好(い)い 時に来ました。この上茶席が建つたらどうもなりません。」と云つた。さう思つて見れば確(たし か)に好い時に来たのである。が、一つの茶席もない、更に好い時に来なかつたのは、返す返すも遺 憾(ゐかん)に違ひない。——自分は依然として仏 頂面(ぶつちやうづら)をしながら、小林君と一しよに竹藪の後(う しろ)に立つてゐる寂しい光悦寺の門を出た。
竹
或雨(あま)あがりの晩に車に乗つて、京都の町 を通つたら、暫(しばら)くして車 夫(しやふ)が、どこへつけますとか、どこへつけやはりますとか、何と か云つた。どこへつけるつて、宿(やど)へつける のにきまつてゐるから、宿だよ、宿だよと桐油(とうゆ)の後(う しろ)から、二度ばかり声をかけた。車夫はその御宿(お やど)がわかりませんと云つて、往来(わうらい)の まん中に立ち止まつた儘、動かない。さう云はれて見ると、自分も急に当惑(たうわく)し た。宿の名前は知つてゐるが、宿の町所(ちやうどころ)は 覚えてゐない。しかもその名前なるものが、甚(はなはだ)平 凡を極(きは)めてゐるのだから、それだけでは、 いくら賢明な車夫にしても到底(たうてい)満足に 帰られなからう。
困つたなと思つてゐると、車夫が桐油(とうゆ)を外(は づ)してこの辺ぢやおへんかと云ふ。提灯(ちやう ちん)の明りで見ると、車の前には竹藪があつた。それが暗の中に万竿(ば んかん)の青(せい)を つらねて、重なり合つた葉が寒さうに濡(ぬれ)て 光つてゐる。自分は大へんな所へ来たと思つたから、こんな田舎(ゐなか)ぢ やないよ、横町(よこちやう)を二つばかり曲る と、四条(しでう)の大橋(お ほはし)へ出る所なんだと説明した。すると車夫が呆(あ き)れた顔をして、ここも四条の近所どすがなと云つた。そこでへええ、さうかね、ぢやもう少し賑(に ぎや)かな方(はう)へ 行つて見てくれ、さうしたら分るだらうと、まあ一時を糊塗(こと)し て置いた。所がその儘、車が動き出して、とつつきの横丁を左へ曲つたと思ふと、突然歌舞練場(か ぶれんぢやう)の前へ出てしまったから奇体(きた い)である。それも丁度(ちやうど)都 踊(みやこをど)りの時分だつたから、両側には祗 園団子(ぎをんだんご)の赤い提灯が、行儀(ぎ やうぎ)よく火を入れて並んでゐる。自分は始めてさつきの竹藪が、建仁寺(け んにんじ)だつたのに気がついた。が、あの暗を払つてゐる竹藪と、この陽気な色町(い ろまち)とが、向ひ合つてゐると云ふ事は、どう考へても、嘘のやうな気がした。その後(の ち)、宿へは無事に辿(たど)り ついたが、当時の狐につままれたやうな心もちは、今日(けふ)で もはつきり覚えてゐる。……
それ以来自分が気をつけて見ると、京都界隈(かいわい)に はどこへ行つても竹藪がある。どんな賑(にぎやか)な町 中(まちなか)でも、こればかりは決して油断が出来ない。一つ家 並(やなみ)を外(は づ)れたと思ふと、すぐ竹藪が出現する。と思ふと、忽ち又町になる。殊に今云つた建仁寺(け んにんじ)の竹藪の如きは、その後(のち)も祗 園(ぎをん)を通りぬける度に、必ず棒喝(ぼ うかつ)の如く自分の眼前へとび出して来たものである。……
が、慣れて見ると、不思議に京都の竹は、少しも剛健な気がしない。如何(いか)に も町慣れた、やさしい竹だと云ふ気がする。根が吸ひ上げる水も、白粉(おしろい)の
ひがしてゐさうだと云ふ気がする。もう一つ形容すると、始めか ら琳派(りんは)の画工の筆に上(の ぼ)る為に、生えて来た竹だと云ふ気がする。これなら町中(ま ちなか)へ生えてゐても、勿論少しも差支(さしつ か)へはない。何(なん)な ら祗園(ぎをん)のまん中にでも、光 悦(くわうえつ)の蒔絵(ま きゑ)にあるやうな太いやつが二三本、玉立(ぎよ くりつ)してゐてくれたら、猶更(なほさら)以 て結構だと思ふ。
裸根(はだかね)も春 雨竹(はるさめだけ)の青さかな
大阪へ行つて、龍村(たつむら)さんに何か書け と云はれた時、自分は京都の竹を思ひ出して、こんな句を書いた。それ程竹の多い京都の竹は、京都らしく出来上つてゐるのである。
舞妓(まひこ)
上木屋町(かみきやまち)のお茶屋で、酒を飲ん でゐたら、そこにゐた芸者が一人、むやみにはしやぎ廻つた。それが自分には、どうも躁狂(さう きやう)の下地(したぢ)ら しい気がした。少し気味が悪くなつたから、その方(はう)の 相手を小林(こばやし)君に一任して、隣にゐた舞 妓(まひこ)の方を向くと、これはおとなしく、椿 餅(つばきもち)を食べてゐる。生際(は えぎは)の白粉(おしろい)が 薄くなつて、健康らしい皮膚が、黒く顔を出してゐる丈(だけ)で も、こつちの方が遙(はるか)に頼もしい気がす る。子供らしくつて可愛(かはい)かつたから、体 操を知つてゐるかいと訊(き)いて見た。すると、 体操は忘れたが、縄飛びなら覚えてゐると云ふ答へがあつた。ぢややつてお見せと云ひたかつたが、三味線(し やみせん)の音(ね)が し出したから見合せた。尤(もつと)もさう云つて も、恐らくやりはしなかつたらう。
この三味線(しやみせん)に合せて、小林君が大 津絵(おほつゑ)のかへ唄を歌つた。何(な ん)でも文句(もんく)は半 切(はんせつ)に書いたのが内にしまつてあつて、それを見ながらでない と、理想的には歌へないのださうである。時々あぶなくなると、そこにゐた二三人の芸者が加勢をした。更にその芸者があぶなくなると、おまつさんなる老 妓(らうぎ)が加勢をした。その色々の声が、大津絵を補 綴(ほてつ)して行く工合(ぐ あひ)は、丁度(ちやうど)張(は)り交(ま)ぜ の屏風(びやうぶ)でも見る時と、同じやうな心も ちだつた。自分は可笑(をか)しくなつたから、途 中であははと笑ひ出した。すると小林君もそれに釣りこまれて、とうとう自分で大津絵を笑殺(せ うさつ)してしまつた。後はおまつさんが独りでしまひまで歌つた。
それから小林君が、舞妓(まひこ)に踊(を どり)を所望した。おまつさんは、座敷が狭いから、唐紙(か らかみ)を明(あ)け て、次の間(ま)で踊ると好(い)い と云ふ。そこで椿餅(つばきもち)を食べてゐた舞 妓が、素直(すなほ)に次の間へ行つて、京の四季 を踊つた。遺憾ながらかう云ふ踊になると、自分にはうまいのだかまづいのだかわからない。が、花簪(は なかんざし)が傾いたり、だらりの帯が動いたり、舞扇(ま ひあふぎ)が光つたりして、甚(はなはだ)綺 麗(きれい)だつたから、鴨(か も)ロオスを突(つつ)つ きながら、面白がて眺めてゐた。
しかし実を云ふと、面白がつて見てゐたのは、単に綺麗だつたからばかりではない。舞妓(まひ こ)は風を引いてゐたと見えて、下を向くやうな所へ来ると、必ず恰好(か つかう)の好(い)い 鼻の奥で、春泥(しゆんでい)を踏むやうな音がか すかにした。それがひねつこびた教坊(けうばう)の 子供らしくなくつて、如何(いか)にも自然な好(い)い 心もちがした。自分は酔(よ)つてゐて、妙に嬉し かつたから、踊がすむと、その舞妓に羊羹(やうかん)だ の椿餅だのをとつてやつた。もし舞妓にきまりの悪い思ひをさせる惧(おそれ)が なかつたなら、お前は丁度(ちやうど)五 度(ごたび)鼻洟(は なみづ)を啜(すす)つ たぜと、云つてやりたかつた位である。
間(ま)もなく躁狂(さ うきやう)の芸者が帰つたので、座敷は急に静になつた。窓硝子(ガ ラス)の外を覗(のぞ)い て見ると、広告の電燈の光が、川の水に映(うつ)つ てゐる。空は曇つてゐるので、東山(ひがしやま)も どこにあるのだか、判然しない。自分は反動的に気がふさぎ出したから、小林君に又大津絵(おほ つゑ)でも唄ひませんかと、云つた。小林君は脇息(け ふそく)によりかかりながら、子供のやうに笑つて、いやいやをした。やはり大分(だ いぶ)酔(ゑひ)が まはつてゐたのだらう。舞妓は椿餅にも飽きたと見えて、独りで折鶴(をりづる)を拵(こ しら)へてゐる。おまつさんと外(ほか)の 芸者とは、小さな声で、誰かの噂か何かしてゐる。——自分は東京を出て以来、この派手(はで)な お茶屋の中で、始めて旅愁(りよしう)らしい、寂 しい感情を味(あぢは)つた。
孔雀
これは異本「伊曾保(いそぽ)の物語」の一章であ る。この本はまだ誰も知らない。
「或(ある)鴉(か らす)おのれが人物を驕慢(けうまん)し、孔 雀(くじやく)の羽根を見つけて此処かしこにまとひ、爾 余(じよ)の諸鳥(し よてう)をば大きに卑(いや)し め、わが上(うへ)はあるまじいと飛び廻れば、諸 鳥安からず思ひ、『なんぢはまことの孔雀でもないに、なぜにわれらをおとしめるぞ』と、取りまはいてさんざんに打擲(ち やうちやく)したれば、羽根は抜かれ脚は折られ、なよなよとなつて息が絶えた。
「その後(のち)またまことの孔雀が来たに、諸鳥 はこれも鴉ぢやと思うたれば、やはり打ちつ蹴(け)つ して殺してしまうた。して諸鳥の云うたことは、『まことの孔雀にめぐり遇(あ)う たなら、如何(いか)やうな礼儀をも尽さうずるも のを。さてもさても世の中には偽(に)せ孔雀ばか り多いことぢや。』
「下心(したごころ)。——天 下(てんか)の諸人(し よにん)は阿呆(あはう)ば かりぢや。才(さえ)も不才(ふ さえ)もわかることではござらぬ。」
Hen na oto l e c t u r e
Pour écouter la lecture de cette jolie nouvelle c'est ici! :
L'audio blog de l'écclectique Nippophile.
変な音
うとうとしたと思ううちに眼が覚(さ)めた。す ると、隣の室(へや)で妙な音がする。始めは何の 音ともまたどこから来るとも判然(はっきり)した見 当(けんとう)がつかなかったが、聞いているうちに、だんだん耳の中へ纏(ま と)まった観念ができてきた。何でも山葵(わさび)お ろしで大根(だいこ)かなにかをごそごそ擦(す)っ ているに違ない。自分は確(たしか)にそうだと 思った。それにしても今頃何の必要があって、隣りの室で大根おろしを拵(こしら)え ているのだか想像がつかない。
いい忘れたがここは病院である。賄(まかない)は遥(は る)か半町も離れた二階下の台所に行かなければ一人もいない。病室では炊事割烹(す いじかっぽう)は無論菓子さえ禁じられている。まして時ならぬ今時分(い まじぶん)何しに大根(だいこ)お ろしを拵(こしら)えよう。これはきっと別の音が 大根おろしのように自分に聞えるのにきまっていると、すぐ心の裡(うち)で覚(さ と)ったようなものの、さてそれならはたしてどこからどうして出るのだろうと考えるとやッぱり分らない。
自分は分らないなりにして、もう少し意味のある事に自分の頭を使おうと試みた。けれども一度耳についたこの不可思議な音は、それが続いて自分の鼓 膜(こまく)に訴える限り、妙に神経に祟(た た)って、どうしても忘れる訳に行かなかった。あたりは森(し ん)として静かである。この棟(むね)に 不自由な身を託した患者は申し合せたように黙っている。寝ているのか、考えているのか話をするものは一人もない。廊下を歩く看護婦の上 草履(うわぞうり)の音さえ聞えない。その中にこのごしごしと物を擦(す)り 減らすような異(い)な響だけが気になった。
自分の室(へや)はもと特等として二 間(ふたま)つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだ から、火鉢(ひばち)などの置いてある副室の方 は、普通の壁が隣の境になっているが、寝床の敷いてある六畳の方になると、東側に六尺の袋戸棚(ふ くろとだな)があって、その傍(わき)が芭 蕉布(ばしょうふ)の襖(ふ すま)ですぐ隣へ往来(ゆきかよい)が できるようになっている。この一枚の仕切をがらりと開けさえすれば、隣室で何をしているかはたやすく分るけれども、他人に対してそれほどの無礼をあえてす るほど大事な音でないのは無論である。折から暑さに向う時節であったから縁側(えんがわ)は 常に明け放したままであった。縁側は固(もと)よ り棟(むね)いっぱい細長く続いている。けれども 患者が縁端(えんばた)へ出て互を見 透(みとお)す不都合を避けるため、わざと二部屋毎に開き戸を設けて御 互の関とした。それは板の上へ細い桟(さん)を十 文字に渡した洒落(しゃれ)たもので、小使が毎朝拭 掃除(ふきそうじ)をするときには、下から鍵(か ぎ)を持って来て、一々この戸を開けて行くのが例になっていた。自分は立って敷居の上に立った。かの音はこの妻 戸(つまど)の後(う しろ)から出るようである。戸の下は二寸ほど空(す)い ていたがそこには何も見えなかった。
この音はその後(ご)もよく繰 返(くりかえ)された。ある時は五六分続いて自分の聴神経を刺激する事 もあったし、またある時はその半(なかば)にも至 らないでぱたりとやんでしまう折もあった。けれどもその何であるかは、ついに知る機会なく過ぎた。病人は静かな男であったが、折々夜 半(よなか)に看護婦を小さい声で起していた。看護婦がまた殊 勝(しゅしょう)な女で小さい声で一度か二度呼ばれると快よい優(や さ)しい「はい」と云う受け答えをして、すぐ起きた。そうして患者のために何かしている様子であった。
ある日回診の番が隣へ廻ってきたとき、いつもよりはだいぶ手間がかかると思っていると、やがて低い話し声が聞え出した。それが二三人で持ち合ってなかな か捗取(はかど)らないような湿(し め)り気(け)を 帯びていた。やがて医者の声で、どうせ、そう急には御癒(おなお)り にはなりますまいからと云った言葉だけが判然(はっきり)聞 えた。それから二三日して、かの患者の室にこそこそ出入(ではい)り する人の気色(けしき)がしたが、いずれも己(お の)れの活動する立居(たちい)を 病人に遠慮するように、ひそやかにふるまっていたと思ったら、病人自身も影のごとくいつの間にかどこかへ行ってしまった。そうしてその後(あ と)へはすぐ翌(あく)る 日から新しい患者が入って、入口の柱に白く名前を書いた黒塗の札が懸易(かけか)え られた。例のごしごし云う妙な音はとうとう見極(みき)わ める事ができないうちに病人は退院してしまったのである。そのうち自分も退院した。そうして、かの音に対する好奇の念はそれぎり消えてしまった。
三カ月ばかりして自分はまた同じ病院に入った。室(へや)は 前のと番号が一つ違うだけで、つまりその西隣であった。壁一重(ひとえ)隔(へ だ)てた昔の住居(すまい)に は誰がいるのだろうと思って注意して見ると、終日かたりと云う音もしない。空(あ)い ていたのである。もう一つ先がすなわち例の異様の音の出た所であるが、ここには今誰がいるのだか分らなかった。自分はその後(の ち)受けた身体(からだ)の 変化のあまり劇(はげ)しいのと、その劇しさが頭 に映って、この間からの過去の影に与えられた動揺が、絶えず現在に向って波紋を伝えるのとで、山葵(わ さび)おろしの事などはとんと思い出す暇もなかった。それよりはむしろ自分に近い運命を持った在院の患者の経 過の方が気にかかった。看護婦に一等の病人は何人いるのかと聞くと、三人だけだと答えた。重いのかと聞くと重そうですと云う。それから一日二日して自分は その三人の病症を看護婦から確(たしか)めた。一 人は食道癌(しょくどうがん)であった。一人は胃 癌(いがん)であった、残る一人は胃潰瘍(い かいよう)であった。みんな長くは持たない人ばかりだそうですと看護婦は彼らの運命を一 纏(ひとまと)めに予言した。
自分は縁側(えんがわ)に置いたベゴニアの小さ な花を見暮らした。実は菊を買うはずのところを、植木屋が十六貫だと云うので、五貫に負けろと値切っても相談にならなかったので、帰りに、じゃ六貫やるか ら負けろと云ってもやっぱり負けなかった、今年は水で菊が高いのだと説明した、ベゴニアを持って来た人の話を思い出して、賑(に ぎ)やかな通りの縁日の夜景を頭の中に描(えが)き などして見た。
やがて食道癌の男が退院した。胃癌の人は死ぬのは諦(あきら)め さえすれば何でもないと云って美しく死んだ。潰瘍の人はだんだん悪くなった。夜半(よなか)に 眼を覚(さま)すと、時々東のはずれで、付 添(つきそい)のものが氷を摧(く だ)く音がした。その音がやむと同時に病人は死んだ。自分は日記に書き込んだ。——「三人のうち二人死んで自 分だけ残ったから、死んだ人に対して残っているのが気の毒のような気がする。あの病人は嘔気(は きけ)があって、向うの端からこっちの果(はて)ま で響くような声を出して始終(しじゅう)げえげえ 吐いていたが、この二三日それがぴたりと聞えなくなったので、だいぶ落ちついてまあ結構だと思ったら、実は疲労の極(きょ く)声を出す元気を失ったのだと知れた。」
その後(のち)患者は入れ代り立ち代り出たり 入ったりした。自分の病気は日を積むにしたがってしだいに快方に向った。しまいには上草履(う わぞうり)を穿(は)い て広い廊下をあちこち散歩し始めた。その時ふとした事から、偶然ある附添の看護婦と口を利(き)く ようになった。暖かい日の午過(ひるすぎ)食後の 運動がてら水仙の水を易(か)えてやろうと思って 洗面所へ出て、水道の栓(せん)を捩(ね じ)っていると、その看護婦が受持の室(へや)の 茶器を洗いに来て、例の通り挨拶(あいさつ)をし ながら、しばらく自分の手にした朱泥(しゅでい)の鉢(は ち)と、その中に盛り上げられたように膨(ふく)れ て見える珠根(たまね)を眺めていたが、やがてそ の眼を自分の横顔に移して、この前御入院の時よりもうずっと御顔色が好くなりましたねと、三カ月前の自分と今の自分を比較したような批評をした。
「この前って、あの時分君もやはり附添でここに来ていたのかい」
「ええつい御隣でした。しばらく○○さんの所におりましたが御存じはなかったかも知れません」
○○さんと云うと例の変な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時夜半(よ なか)に呼ばれると、「はい」という優しい返事をして起き上った女かと思うと、少し驚かずにはいられなかっ た。けれども、その頃自分の神経をあのくらい刺激した音の原因については別に聞く気も起らなかった。で、ああそうかと云ったなり朱泥の鉢を拭(ふ)い ていた。すると女が突然少し改まった調子でこんな事を云った。
「あの頃あなたの御室で時々変な音が致しましたが……」
自分は不意に逆襲を受けた人のように、看護婦を見た。看護婦は続けて云った。
「毎朝六時頃になるときっとするように思いましたが」
「うん、あれか」と自分は思い出したようについ大きな声を出した。「あれはね、自働革砥(オー トストロップ)の音だ。毎朝髭(ひげ)を剃(そ)る んでね、安全髪剃(あんぜんかみそり)を革 砥(かわど)へかけて磨(と)ぐ のだよ。今でもやってる。嘘(うそ)だと思うなら 来て御覧」
看護婦はただへええと云った。だんだん聞いて見ると、○○さんと云う患者は、ひどくその革砥の音を気にして、あれは何の音だ何の音だと看護婦に質問した のだそうである。看護婦がどうも分らないと答えると、隣の人はだいぶん快(い)い ので朝起きるすぐと、運動をする、その器械の音なんじゃないか羨(うらや)ま しいなと何遍(なんべん)も繰り返したと云う話で ある。
「そりゃ好いが御前の方の音は何だい」
「御前の方の音って?」
「そらよく大根(だいこ)をおろすような妙な音が したじゃないか」
「ええあれですか。あれは胡瓜(きゅうり)を擦(す)っ たんです。患者さんが足が熱(ほて)って仕方がな い、胡瓜の汁(つゆ)で冷してくれとおっしゃるも んですから私(わたし)が始 終(しじゅう)擦って上げました」
「じゃやっぱり大根おろしの音なんだね」
「ええ」
「そうかそれでようやく分った。——いったい○○さんの病気は何だい」
「直腸癌(ちょくちょうがん)です」
「じゃとてもむずかしいんだね」
「ええもうとうに。ここを退院なさると直(じき)で した、御亡(おな)くなりになったのは」
自分は黙然(もくねん)としてわが室(へ や)に帰った。そうして胡瓜(きゅうり)の 音で他(ひと)を焦(じ)ら して死んだ男と、革砥(かわど)の音を羨(う らや)ましがらせて快(よ)く なった人との相違を心の中で思い比べた
